朝、昇る太陽の光がこの浦の青い海や奇岩・洞窟にそそぐと、眩しい5色の光となって輝く。人々はこの地を美しい京の錦織の名をかりて「錦ヶ浦」と呼ぶようになりました。熱海多賀火山の名残を残し、源頼朝、加藤清正などの歴史的人物に由来する伝説や、厄除け神事の「胎内くぐり」の名をもつ洞穴、「烏帽子岩」「馬の背」などの奇石や地形がいくつか残されています。またこの紺碧の海、断崖、松の風景は古くから成島柳北、佐伯孝夫などの歌によまれて愛されてきました。
明治42年(1909)今から90年以上前に完成。
全長113メートル。
魚見崎(※)を貫くように造られたことが名前の由来。2002年2月14日熱海で初めて「国の登録有形文化財」に指定されました。
川端康成の伊豆の踊子で有名な旧天城トンネルとまったく同じ工法で造られており、こちらも同じく登録有形文化財。現在でも実際に利用されていることでも珍しい存在です。文化庁からの登録証には「この建造物は貴重な国民的財産です」と刻まれています。
古くは黒潮に乗って鯨までやってきた岬です。ここで漁師が海を見張り、魚の群れを見つけると、のろしやほら貝を吹いて、他の漁師に知らせました。
五竜松には昔より伝説が有ります。その昔、錦浦にはこの1本の松しかありませんでした。松は天に向かい仲間を増やしたいことを祈ったところ、この松に雷が落ち、周囲に飛び散った松が、その後錦浦に生息したと言われています。雷の落ちた松はその後、5つに裂け「五竜松」となりました。
樹齢800年?もしかすると1000年はあるかも…。
昭和52年(1977)ニューアカオ入口~にしき亭までの200メートルの遊歩道が完成。
現在ではアカオリゾート内で総延長10キロまで整備されました。完成当時としては珍しく、景観を壊す電線を地下埋設にしたりと、先進的な発想を取り入れております。
錦浦遊歩道沿いに建つ錦のほこらは、散策途中の休憩にピッタリの場所。「網代」の町を遠くに望めます。
「京、大阪に江戸、網代」と呼ばれ港町としてその昔、隆盛を極めた。国道135号線沿いには「ひもの銀座」網代測候所(地震の時によく名前が出る)鯵のタタキ発祥の地であり、あじろタタキ祭り(5月)が行われる。漁獲高1400t
羽を広げると1メートルにもなり、10月~3月にかけてシベリアより、越冬するために飛来してきます。この季節になると錦ヶ浦の岩肌は越冬する海鵜のフンで真っ白になり、遠くからでも、その様子がわかります。
馬の背中に似ていることより名前がつきました。岩のわずかな隙間にしっかりと根を張った自然の松が印象的で、下を見ると、岩には裂け目があり、さらに中で2つに分かれています。それぞれ「胎内くぐり」「頼朝の犬くぐり」と呼ばれています。
神社など良く見かけます。直径5mほどの茅の輪を母親の胎内に見立て、くぐることにより純粋で汚れを知らない赤ちゃんへ戻ると言われる厄除け神事。
その昔、源頼朝が愛犬を連れ岩の裂け目を通ったと言い伝えられています。
錦ヶ浦一帯を一望できる錦崎庭園は、熱海でも有数の名勝地のひとつです。足下に広がる岩礁と波音はまさに圧巻です。
扇崎庭園は多くの樹木に覆われ、展望台からの相模湾の眺望が魅力です。庭園内のミュージアムレストラン「花の妖精」では相模湾を眺めながら、ゆったりとティータイムをお過ごしいただけます。
その昔、観音様が祀られていた洞窟です。この観音様は300年ほど前、日蓮宗池上本門寺の管主・日曜上人により建立され、観音窟の先は伊豆の韮山まで続いているといわれます。昭和60年頃の国道135号線拡幅工事の際、崖上の屏風岩が崩され入り口を塞いでしまったため、現在は中に入れません。
源氏・平家の戦い。頼朝は北条家の侍100騎足らずで旗揚げします。後からかけつけた源氏ゆかりの武士は三千騎。ここには、それを見こしてたくさんの兵糧米が隠してあった岩屋があります。兵糧を俵に入れ、崖上から落としたことからこの名前が伝説として残りました。